プロメアに人生を救われた話

※考察(っぽいもの)もありますがネタバレしかないので気をつけてください。自己責任で。

 

6/12にプロメアを見に行ったのは本当に偶然だった。友人とは最初にゴジラを見に行こうと言っていたのだけれど、ただ上映時間が少しだけ早く、業後なので余裕を持ちたいし、ゴジラは諦め「そういえば最近ツイッターで見るね」とプロメアにした。本当にその程度だった。グレンラガンキルラキルも私は見ていないので、TRIGGERと言われてもピンとこないし、予告編も見ていなかったのでどんな話かも分かっていない状態だったのだ。(ツイッターで筋肉ムキムキブロンドヘアーの堺雅人が滅殺開墾ビームというビームを撃つことは知っていた)ところがどうだ、開幕5分足らずで泣いてしまったではないか。

この映画は平行世界の我々だと思わずにはいられなかった。やり場のない怒り、痛み、強いられる我慢と吐きそうな閉塞感、それを毎日繰り返す。その怒りが炎となって吹き出した瞬間、私は涙した。満員電車で苛立ちをつのらせるサラリーマン、夫(あるいは恋人)の暴力に耐えかねて床に崩れ落ちる女性、どうにもならない渋滞なのに無遠慮にクラクションを鳴らす男に我慢ができなくなる運転手。たぶん悲しいことに、私たちの世界には掃いて捨てるほどそんな人たちがいる。そんな人たちの全てを煮詰めて代わりに怒りを爆発させてくれたように感じたのだ。救われた、本当に救われた気がした。

満員電車なんて苛立ちをぐらぐら煮詰め続けている吹きこぼれかけの地獄の釜で、だからこそ誰でも一度はあのサラリーマンのような経験や、それに伴う苛立ちがあるのではと思う。でも我慢する。みんな我慢しているから。怒りをぶちまけてしまいたい、ぶちまければよかった、でもぶちまけられなかった。そうして苛立ちはやがて自分の中で腐り、しかし消えることなく心を蝕むように燻り続ける。あとは皆で仲良く窒息していくだけだ。あれは、あの爆発は我々の呼吸だと、窒息しかけたところで酸素を大きく吸い込んだような、そんな解放感が、喜びが、私にはあった。もっと燃えたい、不完全燃焼だという炎の慟哭は怒りをぶちまけたい、不満をぶちまけたい、でもどうすることも出来ない我々そのものではなかろうか。少なくとも、私自身であったように思う。

ほどなくして映画内の時間軸は現在にうつり、タイトルロゴののち、レスキュー隊の出動が気持ちの良い音楽(Inferno/澤野弘之)とともに始まる。本当に気持ちいいのだ、これが。曲が流れた瞬間のあのなんというのだろう、人々の歌声が、確かに私達は救われるのだと思わせてくれる、一筋のひかりのような神々しさに包まれる。やや話がそれるが進撃の巨人というアニメでも澤野さんの音楽が使われていて、澤野さんの曲を聴くと泣くように育てられてしまったので、わくわくするシーンであるにもかかわらず、泣いた。早い。序盤も序盤にどうして私は2回も泣いているんだ。情緒が馬鹿なのか。あるいはわくわくするシーンであるからこそかもしれない。社会人になってから割と惰性で生きてきてしまった。夢も目標もない。今日食べる飯のために働く。貯金もない、やる気もない。とはいえ幸い病気も怪我もなく食う寝るところに住むところもあるのだから恵まれているのだと思う。思わざるを得ない。けれどもやはり電車に揺られて会社に行き電車に揺られて狭く暗いワンルームに帰る、その繰り返し。もちろん死ぬのは怖い、だからとりあえず生きて働く、そんな感じだったから、ここしばらく「何かが始まるぞ」という高揚感を忘れていたのだろう。勿体ない生き方をしている自覚はある、でも何かに向かって生きるための体力や気力を毎日の些細な苛立ちで浪費してきた。

とにかく最初の出動シーンでは主要キャラ1人1人が生き生きとしていて誰も何も恐れていないように見えた。何より主人公のガロが眩しかった。どこまでもまっすぐで、熱く、眩しい。穢れもない、裏もない、ただただ無垢な男が理想と憧れと信念を胸に戦う姿を見て心が奮わない者がいるだろうか。後述するが私はガロが眩しく、恐ろしい。

ところで対峙したリオだが、私はリオの第一声を聞いた時に「若いな」と「冷静だな」と何故か驚いた。マッドバーニッシュの親玉だというのだからそれはもう随分マッドな奴だろうと思っていたからだ。こういう名前やなにかしらのラベリングにきっと踊らされてしまう、その危うさに気づかされた瞬間だった。そして顔が見えたときの驚きといったら!お前、仲間じゃないんかい!と仰天した。前述の通り予告編などは何も見ていなかったものの、ツイッターに流れてきたイラストは度々拝見していたので、てっきりリオもレスキュー隊の新人か何かだろうと思っていたのだけれど。まさか敵だったとは。うーん、この熱い展開である。それはさておき序盤でこのアクション、主要人物を全て違和感なく登場させ、印象付けるのが圧倒的に上手い。誰がどんな性格なのか、誰と誰がどんな関係なのか、全てを整理させてくれる。ほんの一瞬しか映らない、それぞれの個性が溢れるロッカーを軽快に目にも留まらぬ速さで開け、けれど鮮やかな色彩でそれぞれの印象付けるシーンなんて本当に素晴らしい。お見事…。

シーンはガロの勲章授与式にうつる。ここで登場したクレイだが、印象はTIGER&BUNNYのスカイハイに近かった。口数が少なく固く握りしめられた拳がアップにされるあたり、何かあるなと感じさせたが…。そしてここで魅力的な場面展開。ピザを持った手がにゅっと授与式に差し掛かり、レスキュー隊が穏やかな昼ご飯を食べているシーンになる。おっ?と思わせておいて飽きや間延びをさせない場面転換。それにしてもピザ屋のシーンはとても可愛かったな。

前後の会話内容からまっとうに生きているピザ屋の青年はすぐにバーニッシュだと気づけたが、逮捕までがあっという間過ぎて、そして悲しかった。文句を言う客たちに憤る気持ちもあり、だが私がその世界に生きている普通の人間だったらどう思うだろう、同じことを言ってしまうのではないかと、薄ら寒かった。ガロとアイナが店主だけはと間に入ったことは唯一の救いだったかもしれないが、それでもバーニッシュは逮捕されても仕方ない、そういう共通認識がまかり通る世界なのだとまざまざと見せつけられた。店主とともに逮捕されたピザ屋の青年のことを思うと胸が締め付けられる。だって店主は彼を庇ったというだけで、その心が優しいばかりに、逮捕されたのだ。きっと青年はそれも含めて気に病むし責任を感じるだろう。なぜ私はバーニッシュになってしまったのだろう、と運命を呪っても仕方ない。(バーニッシュでなければピザを焼いていなかったかもしれない。それが人生の奇妙で愛すべきところであると言われればそうは思えなくても何も言えない)結局のところ青年だってピザを焼いて普通の人と変わりない穏やかな人生を送っていただけなのに、それすら許されなかった。そんな世界に誰がしたのだろう。きっと我々だ。

ここでタイミング悪くリオの脱獄があり、きっとピザ屋の青年は助からないだろうと、そんな予感と共に、脱獄したバーニッシュたちを見つけたガロの姿を、息をのんで見つめていた。子供と、普通の子供と何ら変わらない子供の瞳を見たときのガロの狼狽は当然だ。だからこそ、バーニッシュでも飯を食うんだなと言ったガロが信じられなかった。どうしてそんなひどいことが言えるのだろうと。そのあとすぐに謝ったとはいえ。(バーニッシュの炎で失ったものがある彼だから、仕方ない、のかもしれない)助けの車を待たず命を落とす仲間への最後の救命活動は、ただただ神々しく悲しく恐ろしく、けれどどうしてか美しかった。これがまさか伏線になっていたとは…恐れ入りました…。

まさかといえば、ここでクレイの本性の一部が垣間見えるわけだけど、クレイにとってガロは人生を唯一狂わす存在だったと。ガロと出会ったきっかけが、計算が狂って制御できなかった衝動によるものだからガロの存在はクレイに人生の汚点をいつも思い出させるトリガーなわけで。えぐいなと思う。世間受けがいいとかどうとかでそんな存在を自分の手元に置いておける?名誉と称賛と引き換えに罪悪感とひょっとすると逆恨みすら抱かなくてはならないのに。私には無理だ。クレイと同じだけど早く消えてほしいし目障りだと思うだろう。それか自分が消えるか、だ。完璧になれない理由であるガロを地球に残し、自分は新しい世界で完璧な「救世主」になる。それが彼の願いだったのだろうか。燃やしたいと言うプロメアの意思と彼の感情がシンクロしすぎて地球の破滅を望んでいた?このあたりは頭の悪い私には分からなかったのだけど、でもとても生きづらいだろうなとおもった。窒息しそうな日々を抜け出しバーニッシュの力を思う存分使っていたクレイのあの生きている、という、顔。それを見て私は嗚呼、とまた涙しそうになった。本当はどうだかわからない。けれど今まで抑えてきた憎しみや恨みや苛立ちが解き放たれ、ガロという存在から解放されんとす、クレイの咆哮を聞いて息が止まったように感じたのは私だけだろうか。

おそらくクレイは完璧主義で、だからこそ自分は意のままにプロメアをコントロールできると思っていた。事実コントロールしてきたのだろう。忌々しい突然変異で彼は決定的に人生の計算を狂わせてしまうけれど。でもそれからは衝動を抑え人類のために解決策を探し、我慢し続けてきた節はないか?完璧な私がすべき。ばかたちのためになぜ私が?そんな葛藤が彼の中であったのではないか。かたやマッドバーニッシュたちは本能のまま衝動のまま燃やす。どんなに望んでもクレイはそれができない。司政官であり、完璧な救世主たらんとするために。羨ましい、と思ったのではないか。だからこそあの炎を自在に操るクレイは恐ろしいほどに感情が剥き出しだった。やっと、やっと、クレイは自由を手に入れた。衝動のままに、本能のままに。私は彼が完璧であるがゆえに救けを求められなかったのではないかと思う。救けを求めるということは自分が完璧ではないと認めることだから。でもそんな意地もプライドも殴り飛ばしてガロが救けてしまうのだ。本当はきっと救けてほしかったんじゃないかな、と思わずにはいられない。完璧でないと突きつけられてしまったけれど、きっとそれはずっとクレイ自身が知っていた。あの「余計なことを」にはそれも含まれていたんじゃないかなあ、とぼんやり思う。

彼はプロメアと共に生きたかったのだろうか。プロメアから逃れたかったのだろうか。本当は逃れたかったのではないかと思うけれど、長く衝動を抑圧しすぎたせいで逆に自分をより高位な存在だと認識してしまった可能性はある。時系列を私の中で整理できていないので違うかもしれないのだけど、博士と研究していたのは、最初は、本当は、バーニッシュでなくなるためだったのでは。けれど新しく人生を計算し直した。バーニッシュである自分が弾圧されず、捕まらない世界のために。

でも新しい世界で救世主になって、そのあとクレイはどうするつもりだったのだろう。ほかの惑星に行けばバーニッシュではなくなるのだろうか。プロメアとつながっていない惑星であればあるいは?もしくはクレイが惑星で唯一のバーニッシュとして生きていくのか。(ワープですべてのバーニッシュを灰にしてしまった場合)このあたりも私の理解が及んでいないのでクレイの最終的に目指すところが分からなかったのだが…。解決策があれば地球に残っていたのだろうか。自分が完璧でないといつも思い出させるガロがいる世界に?

タイムラインは少しさかのぼり、根城(というと響きが悪いが)を見つけられたバーニッシュたちの穏やかな日常が突然氷漬けにされてしまうあの恐ろしさ。何もしていない。ただ息をして、笑いあって、食事を作り洗濯物を干し、そんな、なんでもない1日。それはいとも簡単に嘲笑と共に踏みにじられ砕かれる。居場所を漏らしていたあの老人には憤りがあったけれど自分が同じことをしないとは断言できる強さは私にはないし、そしてお約束通り自分も結局捕まってしまう彼のことを、自業自得だと思いこそすれ、ざまあみろとは思えなかった。もちろんだからといって他のバーニッシュたちが苦しむことは許せないし、リオを光だと、希望だと笑って言ってのけたゲーラとメイスの2人がリオを逃がすところではボロ泣きしてしまった。リオは間違いなく皆の光で最後の希望で、救世主だ。それを理解し、背負い、それでも理性を手放さず信念を貫いてきたリオの、自分たった1人が仲間と共にあれない叫び。自分たちを犠牲にしてまでも仲間のことを思い、自分たちが信頼している唯一であるリオにすべてを賭け、託し、逃がすために、とびきりの笑顔で命を燃やした2人。いやほんとに勘弁してくれ…私は男でも女でもとにかく熱い友情や主従といった信頼関係が大好きなんだ。あとはもうリオの体内から銃弾が取り出されたときの「こんな小さいものに」や「よくも仲間を」という怒りが画面を通してそれこそ銃弾のように降ってきて、もう私の心は救けて、ガロ、としか思えなくなっていた。きっともうガロのあの眩しすぎる光でしか、バーニッシュの光であったリオを照らせる人はいないだろうから。

終盤に差し掛かるとエリスとアイナの信頼関係がもうめちゃくちゃ熱すぎてここも泣くんだな、これが。ただ真っ直ぐ妹の言葉を信じ、妹を残して生き残るくらいなら、半年後に一緒に死ぬかもしれない運命を選ぶ姉。妹がきっと救けに来てくれると信じて飛び降りる姉。でもここで「アイナ!?」と言っていたから来てくれるとは思っていなかったのかな。となると飛び降りたのは尊厳のある死を望んだのか、バーニッシュたちを苦しめたことへの罪の意識か、みんなで死ぬことを選んだことへの贖罪か、愛すべき妹の死を目にするなら先に死んでしまいたいという願いか、それはわからない。

そしてその姉を機体で救い、間に合った、と安堵し、もう怖いものはないと言わんばかりにまっすぐ前を見据える妹。姉は誇りだと屈託なく笑う妹。純粋に、いい。すごく。大泣きもいいとこだよ。ほーんとガロを自分の炎でクレイの炎から守るリオもそうだけど、君たちさ。利己的な人間が少ない。利他的だ。かと思えば自分の一本気は通してくるし。眩しいに決まっている。もしかしたらリオはガロを守りたいという気持ちと、ガロならこの窮地を何とかしてくれるという希望を持って命運を託したのかもしれない。だって炎は命だもの。炎はリオの命をつなぎとめて灰になったはずの体をいたわるように元に戻すのだから。あのシーンはもはや人命救助を越えた神話だったな。他意も何もなく純粋に命を救うという行為なのだけども。このあと相棒2人が生きていたのも分かってほっとした。よかった。ピザ屋の青年も、店主のおじさんもどうか生きていてほしい。

さて、ようやくではあるがガロの話をしたいと思う。ガロ、前述の通り眩しすぎてそして恐ろしかった。だってみんな見た?炎の中を一歩一歩踏みしめて前に進んでさ。リオも、地球も、あんたも救う!って真っ直ぐで熱い瞳で捉えられてみろ。そりゃクレイだって毒気も何もかも抜かれて「わたし?」って聞くわな。びっくりするわな。クレイからしたらほんと度し難いばかだろう。計算づくの人生だったクレイと、直球で自分に正直に生きてきたガロ。鬱陶しく、妬ましく(羨ましく)そしてやっぱり眩しい。たぶんクレイはガロの家族の命を奪って、家も奪って、旦那と慕うガロを殴って目障りだったと怒鳴り、牢屋にぶち込み、死んで欲しいと願っていたと吐き捨てたにもかかわらず、そんな相手がなお自分にまっすぐ向かってくるんだ。怖いよ。なんだろう、ホラーとかそう言う怖さではなく、サイコパスとかそういう話でもなく、人智を超越した神様のような、そういう恐ろしさ。

ガロの恐ろしいところはその眩しさはもちろんだけど、それはそれ、これはこれ、と物事を分けて考えられることだと私は思う。怖すぎない?心が広いとかそういう次元ではないと思う。(クレイに裏切られ泣くシーンと、裏切られたとガロ本人が吐露したシーンはあったものの)裏切られたけどそれはそれ。そこに救けるべき人がいるから救ける。消すべき炎があるから消す。そう思える人ってどれほどいるんだろうか。私はこの点においてガロと真逆の思考回路だし、きっとこんなレベルで裏切られたら立ち直れないし割り切れないから、だからこそ眩しかった。(もしかしたら私が知らないだけで割り切れる人は多いのかもね)冒頭、ガロと対峙した敵幹部のゲーラとメイスが「ばかか」「ばかだな」と言う。そう、ガロはばかなのだ。どんな時も諦めず、必ずできると信じているから。現実を真っ直ぐ見て、目を逸らさず、立ち向かう勇気があるから。信念を曲げない熱さと、その信念のために全てを受け入れ割り切れる強さがあるから。そしてその全てで我々の凝り固まった「常識」や「普通」を瞬きの間に飛び越えていく。飛び越えていくガロを視線で追うとき、きっと我々は太陽を目にして眩しさに目を眇める、そんな気がする。

ガロとリオがガロデリオンに乗り込み、またInfernoが流れて、救われるのだと涙腺を叩かれそのまま泣いた。緑の炎と、青い地球の本当に美しいこと。私たちはこんなに美しい星に住んでいたのか、と。リオの手から消えていく炎の美しさも、その炎の揺らめきを見つめるリオの澄んだ瞳も、楽しそうな笑い声も、全てが素晴らしかった。収束と暗転、解放感。

話が行ったり来たりして申し訳ないが、プロメアが消え、炎の翼を失い、それでも救けられたクレイはどう生きていくのだろう。救われたと思うのか、生き地獄だと思うのか、私には分からない。でもきっと死にはしないと思う。ガロがこれからだ、って言っていたように、クレイも、リオも、レスキュー隊も、バーニッシュだった人も、名もなき人々も、そして世界もこれからなんだ。これから。

眩い光だ、ガロは。溢れだしそうな闇と炎が眠る世界を静かで穏やかに見えるように守ってきた夜がクレイで、その夜に塗りつぶされないように仲間を導こうと命を燃やす星がリオで、そのどちらも飲み込み、眩しすぎる朝を、夜明けを連れてきたのがきっとガロだ。神話と言わず何といおう。全てが必要で、全てが誰かの救いだった。眩しい夜明けですらも、誰かの希望であり、誰かの絶望だ。それでも朝はやってきた。だからこそ神話なのだと思う。だから私はプロメアに人生を救われたと思った。冗談抜きに、誇張無しに、文字通り。

偶然出会った映画だったけど出会えて本当に良かったです。もうずっとトップギア。鮮やかな色彩も丸や三角や四角のエフェクトも音楽もストーリーも何もかもが融合して、没入感がすごい。最前から2列目で見たが首が痛いとか思う暇もない。見終わった後もアドレナリンドパドパで痛くもない。序盤からずっと飛ばし続けてでも息切れを感じさせない。いや、怖いだろ。なんだそれ。私たちを浦島太郎にするつもりか。映画観終わった後21時半ころで思わず嘘だろと呻いてしまったわ。体感30分。ついでにあまりにも解放感に満たされていたので携帯を見て明日木曜!?仕事!?と死にそうになったわ。1回じゃ消化しきれなくてもう1回見たいなプロメア…と思って何気なく上映館調べなおしたらどこもかしこも13日で上映終了っぽいことに気づいてしまい慌ててチケットを取りました。(無事2回目を見たので文章を推敲してます。やはり神話。)

この文章を書くあいだ、真面目に書こうとする私と、感情がぐわっとなって、いや、めっちゃ神話。無理。みたいな私が出てきて文体ばらばらですけど、すごい映画なんですよ。ほんとに。見て下さい。もう上映している映画館ほとんどないと思うんですけど。あと書いていて気づいたのだが、そう、私はこの映画を見ている時バーニッシュに感情移入し、あるときはバーニッシュでない有象無象の普通の人々に感情移入したせいで情緒が本当に馬鹿になった。情緒をタコ殴りにされジェットコースターで乗り回され、爆速で駆け抜ける時間を全身に浴びていた。それを書くことで追体験するという。でも忘れたくなくて書き始めたら止まらなくなってしまい、読みづらくてごめんなさい。長いのに読んでくれてありがとうございます。やー、やっと全部吐き出すまでは我慢してたから、ようやくいろんな人の感想や考察が読めると思うとわくわくする。楽しみ。

最後に。公式の皆様、どうかお願いします、どうかどうか円盤を出してください。私は神様の姿かたちを見ることができないと、悲しいかな、神様のことを忘れてしまう、ちっぽけな人間なので。